タイトル
少しく距離をへだてた人家の、硝子戸のある窓や縁先から、灯火のついている室内を眺めると、往々、おかしなことを考える。じかにまざまざと見えるのではいけない。多少の距離と硝子戸などで、室内の灯火と物象とがぼかされ美化され、人影はくっきり浮出しながらその人物は分らない、それくらいの程度がよい。
そうした室内の遠望のうち、最も面白いのは、食膳と臥床である。或る自然主義の大家ならば、人は起きて食い働き食いそして眠る、一生同じことを繰返してよく倦きないものだと、歎息するところであろうが、私はもっと幼稚なばかげたことを空想する。
四角な餉台、遠目によくは分らないが、大小さまざまな皿や椀、側には飯櫃や鍋、恐らくは心こめた而もつつましい料理が整えられていることだろう。母親か或は細君らしい人が、それらのものを程よく置き並べ、餉台の上に白布をかぶせて、どこかへ行ってしまった。それきり、誰も出て来ない。餉台の上の料理は、白布の下で、いつまでも待っている。一体誰に食べてもらうつもりなのか。電灯が明るくついているだけで、人の姿は見えない。食べる人はどこにいるのか、どこに行ったのか。時がたち、そしてなおいつまでも、食べる人はやって来ない。誰も出て来ない。料理だけがなおじっと待っている。
『待つ者』豊島与志雄(青空文庫)